再びナイロビ

お土産ツアー

最後の2日間の使い方についてはいろいろ相談した挙句、サファリ明けで疲れてたこともあって、最終日はゆっくりと荷造りをしたりインドの計画を立てたりすることにして、この日は午前中は街でお土産を買って、午後は国立博物館付属のアートスタジオを再び訪れることにしました。

まずは高級お土産ショップ「アフリカン・ヘリテージ」を見に行く。店内もきれいでおしゃれな感じ。売ってるものはいつもの木彫りものの他に、仮面やちょっと変わった布や高めのアクセサリーもあります。そして大きな特徴はやはり値引き交渉ができないこと。なので、ここをまずチェックして相場を知っておいてから値引き大歓迎の巨大マーケットに行って、そこにもあるものならそこで買って、なかったら戻ってきてここで買う、という計画です。

マーケット

マーケットは、25メートルくらいの高い天井の建物のなかに間口5メートルくらいの店がたくさん入っていて、とにかく乱立といった感じ。土産物だけではなく食料とか花も売っているので、庶民の生活も垣間見えます。足のない人が歩きながら物乞いをしていたり、目の見えないお父さんを連れた若い男の子が客引きをしていたり、そういう風景が普通に繰り広げられる。客引きの勢いのすごさはもうこれまで以上で、新宿のキャッチとか全然甘いと思ってしまった。声かけられて素通りすると「何も見ないんだね。あんたメクラかい?(多分こういう口調)」とか後ろで言われたりします。通路で声かけられてちょっと興味持ってついて行こうとすると、すごーく遠くのほうだったり下手すると上の階の店の人だったりして、連れて行かれてみんなとはぐれたりもしてけっこう大変でした。

あまりにもうっとうしいので私は人のものは「アフリカン・ヘリテージ」で買おう…と思いました。なさそうなものでちょっと欲しかったサイザル麻のバッグ布のカレンダーだけ買ってみたけど、どうも人を信じすぎるタチなので十分に値引きができませんでした。大体向こうの言い値の3分の1くらいから交渉を始めて、半分くらいにするのがいいらしいのだけど、言い値の時点で「アメリカ人にならこれくらいで売るけどあなた日本人だから大サービスでこの値段」とか言ってくる。それがいい人そうだとついつい信じてしまってかなり控えめに4分の3くらいのところから始めてしまったりしました。大分下がってきたところで「これほとんどモッテケドロボーな値段よ(カタカナ部分日本語)」とか言われると、そんな日本語知ってることが面白くて納得しちゃったり。あとは「こっちも生活かかってるんだから」という言葉には弱く、そうよね、と思ってついつい妥協しちゃうんだけど、そんなのは常套句であって、じゃあいいわって去ろうとすると慌てて追いかけてくるものなのですね。

値引き下手は私とアイちゃん。ヨウスケは普通くらいで、ナツコとテツはかなりの値引き上手です。二人で木彫りの人形を大量に買って、大量割引をきかせて結局一体20円くらいにしていた。テツは大きなキリンを2体も買いました。サファリで本物のキリンを見ながら、等身大のキリンを買って帰ることを決めていたらしいのだけど、さすがに日本に持ち帰ることを考えるとそこまで大きいのは買えず、でも腰くらいまであるでっかいのを2体。あとでこのキリンのせいで非常に面倒な目に遭うのだけど、とりあえずテツが両手にキリン抱えてる図は相当おかしかったです。首から上に新聞紙巻きつけて。

アフリカン・ヘリテージ

そしてアフリカン・ヘリテージに戻って家族や友だちのお土産を適当に購入。高級店なのに、包装は新聞紙で。全然構わないっていうかむしろ歓迎だけど、お店の雰囲気からすると不思議な感じでした。必要なものは買えたけど、後になってみるとマーケットでもっとくだらないものいっぱい買っておけばよかったかも、とちょっと後悔。見飽きていた木彫りの人形やブレスレットも、見飽きるほどあるケニアの名産なわけで。客引きに負けない根性がいちばん大切かもしれません。

もちろんお父さんの車で連れて行ったもらったのだけど、駐車したところからお店までのちょっとの距離だけ街を歩くことができました。大自然もいいけどやっぱり私は街が好きだなあと改めて感じた。クラクションが鳴って、ビルの合間を忙しそうに闊歩する人々がいる。クラクションの意味とか闊歩してる人の目的なんかはちょっと違いそうだけど、ニューヨークのエキス5%というところ。都会の森を愛するアサコなのでした。

お昼休み

一旦ヤヤに戻ってお昼ご飯。最初のうちはできないながらも一応台所でウロウロしてできそうなこと手伝ったりとかはしていたお料理タイムも、この頃になるともうそれも諦めただの待ち時間。この日はサファリの毒が胃腸に回ってきてちょっと体調不良だったこともあり、ナツコ母さん、頼んだよ、とお腹を空かせたツバメの子のようにしておりました。人間失格です。しかし、ナツコ母さんは長年の付き合いで私が基本的生活能力のないことは熟知してくれていたので、できたものは遠慮なく頂き、そしてせめてもの罪滅ぼしにとせっせとお皿を洗ったのでした。

体調不良と言えば、ずっと一番元気だったテツがこの日あたりから体調不良を訴え出しました。夜くらいからはもう高熱と下痢でかなり病人の風体で、もうすぐインドに行く身だというのに大丈夫なのか、とかなり心配。幸いナツコパパはお医者さんなのでその点は安心でしたが、アフリカで下痢っていうのはやはり恐いものだなと思いました。

アートスタジオ

そして午後は約束通り再びアートスタジオへ。写真は入り口の模様。展覧会も一段落していて、ジェームスともパトリックともゆっくり話すことができました。ナツコとアイちゃんは美大生なので自分の作品の写真を持ってきていて、ジェームスと作品を見せ合ったりしていました。ヨウスケも美大で、つねにスケッチブックを持ち歩いてとにかく目に入るものは何でも描いて、サファリでも写真を撮る代わりに絵を描いていたような人なので、当然ここにも持ってきていてそこら辺にいる人の似顔絵とか描いてるのを見られたりしてました。絵でコミュニケートするなんてステキ、と改めて思いました。私は言語担当ということになるわけですが、ジェームスの英語は聞き取りづらくてちょっと参りました。

ジェームスやパトリックと話しているとどんどん人が集まってきて面白かった。ナツコの持っていた電子辞書が大人気で、みんなもうトリコ。英和と和英だから彼らにとっては意味のないもののはずなのに、英単語を入力しては日本語訳が出てくるのに大喜びして私たちにそれを読ませて楽しんでいて、しばらく返してくれませんでした。相当しかったのでしょう。なんにしろ、旅行先で現地の人と話ができるというのはすごく面白いことです。普段そういうことはあまりしない私としてはひたすらナツコに感謝。別れ際は、もう二度と会うことはないんだろうなあと思って、一期一会みたいな、不思議で寂しい気分になりました。

パトリック

パトリックは教養のある人らしく、いろいろ面白い話をしてくれました。驚いたのは、ケニア人は皆大体4ヶ国語しゃべれるということ。スワヒリ語、英語、キクユ語、それぞれの故郷の言葉。スワヒリ語は公用語、キクユ語というのはキクユ族というナイロビに一番多い民族の言葉。英語はもちろん昔イギリスの植民地だった関係だけど、それにしてもなんでみんなこんなに完璧に使いこなせるんだろうと思っていたら、小学校の頃から授業はもう英語で行われるとのこと。「英語を習う」のではなく「英語で習う」。英語を話す深刻な必要性のない日本人が英語を話せないのは当然かもしれません。

私は何ヶ国語しゃべれるのかと聞かれ、日本語とインチキ英語だけと答えると、手話の話になりました。パトリックは英語の手話の勉強をちょっとしていて、日本語の手話に興味を持っていたみたい。私もじつは手話がどの程度世界共通なのかということは気になっていて、ちゃんと勉強したことはないながらも知っている範囲でやって見せると、やっぱり全然違うことが判明しました。せっかくだから共通語にすればいいのにな、と思いました。

日本の話もしました。物価が高いという話をしたら、じゃあケニアに住めばいいのに、と言われ、いや、物価も高いがその分給料も高いのですよ、と当たり前のことで返したひねりのない私でした。アイちゃんが忍者村で撮った忍者の写真を持っていたので見せた。「オー、ニンジャ!」と期待通り喜んでくれたので、日本にはいまでも忍者がいるんだ、と言っておきました。半信半疑みたいだったけど、「忍者の忍は隠れるという意味で、者は人という意味だから、忍者というのは隠れている人たちのこと。私たちもいつもはお目にかかれないけど、きっといるはず」と真面目な顔をして言ったらちょっとは本当かなって思ってくれたようでした。

いたずら好きの日本人の友だちがいるらしく、その人が落書きをしたというノートを見せてくれました。いろんなわけのわからない日本語が書いてあって、どういう意味なのか聞かれました。答えられる範囲で教えてあげたけど、さすがいたずら好き、ちょっといけない言葉もたくさんあって、こんな言葉は覚えてはいけませんよ!と言ったら素直に消していました。パトリック、可愛い。みんな日本語(=日本)に興味があることは確かみたいでした。

話していると学校帰りの小学生くらいの女の子がパトリックに会いにやって来ました。シャイな子で私たちにちょっとだけ挨拶するとすぐ行っちゃったんだけど、パトリックはいま子どもたちのために絵を描いてあげているらしい。子ども会議みたいな催しで、「良い町」と「悪い町」について話し合うにあたって使う絵。たった20シリングで描いてあげると聞いてすごく驚いた。パトリックは一応プロのアーティストで、ケニア人のなかでは生活レベルの高い人なはず。でも、たしかに安いけど、子どもたちにとっては大金だから、だって。いい人だぁ〜。写真は、電子辞書に群がるパトリックと仲間たち。斬新な髪型をしているのがパトリックです。

ジェームス

ジェームスとは絵の話をけっこうしました。日本で自分の絵を売りたいらしくて、日本で行われる国際コンクールとかに出品したいんだけど、送料の5000円(1キロあたり)が工面できないから送れないという話。確かに5000円あったらナイロビじゃあ何日分の食費になるか。パトリックの子どもの絵の話にしろ、物価の差というのは歴然としています。

ナツコたちの大学の展覧会とかでもいいから自分の絵を飾る場所を確保してもらえないか(画商の目に触れる機会がほしい)、とちょっと話が具体的になってきて、もしかして私たち利用されかけてるのか?とも思ったけど、いい人だと信じよう。実際切実に売りたいんだろうなとは思う。でも日本人が大好きだって言うときのジェームスの目は本当に純粋で、30歳だというのに輝いちゃってる感じで、それが媚を売っていたとはやっぱり思いたくないし、思えない。

そんな話をしてるときに突然いなくなったと思ったら、私たち一人ひとりに自分の版画を刷って持ってきてくれました。ちょっと感激。美大生の目から見るとやっぱり技術的にはあまり発達していないらしいのだけど、素人の私には勢いがあってアフリカっぽくてかっこよく映ります。ありがとう、ジェームス。写真はジェームスとあやしいカメラマンのおじさんとジェームスにもらった版画を手にしているみんな。頭にエンピツを挿しているのがジェームスです…。

デジカメで自分の絵の写真を撮ってメールで送ってほしいと言われたので撮ってあげました。人に紹介するときにすぐに送れる写真があると便利だからって。意外なことにメールはわりと普及しています。郵便がしっかりしていないからメールのほうが早くて確実だということなのでしょうが、ネットってすごい、と驚かされました。この旅行記ページが完成したら送ろうと思っていたために、まだ送っていません…ごめんね、ジェームス。もうすぐ送るからね〜

最終日

ゆっくり荷造り。テツが本格的に寝込んで、私も胃腸が本当におかしくなってきて、なんとなく暗い雰囲気も。ゆっくり荷造りDAYにしておいてよかったな、という感じです。なにしろ次がインドですからね…。3時半に迎えの車が来るまでそれぞれ仕度をしたりちょっと隣のショッピングセンターに行って余りそうなお金を使ったりして過ごしました。そしてお世話になったメイドさんに別れを告げ、お部屋で集合写真を撮って、車に乗り込んで空港へ。

帰りも同じエア・インディアで、7時離陸の便。デリー経由でボンベイへ旅立ちます。が、乗るまでに一山も二山もありました。早めに空港に着いておいて本当に良かった。インドから日本へ帰るときもさらに一山ありました。私はエア・インディアには二度と乗りません。

A.I.にマジギレ事件@

一つ目の事件はチェックインのときに始まりました。機内に持ち込める手荷物は一つにまとめて、あとは預けるように言われます。が、A.I.は預けた荷物を壊したり、あろうことか盗んだりすることで有名。テツは元々キリンを絶対に持ち込むつもりでそのためにサイズも小さめにしたようなものだし、他のみんなもあやしいお土産いっぱい買ってあって、なくなったら困るものばかり。私はスーツケースだったから最初から大事なものだけリュックに入れて他は預ける覚悟でいたけど、あとのみんなはインドでの旅に備えてバックパックだったからどうにか持ち込めるだろう、という目算だったのです。

A.I.のグランドスタッフとみんなの互いに譲らぬ争いが始まったわけですが、関係ないはずの私はそのとき何をしていたかというと、間で通訳をしていたのですね。「彼らに手荷物は一つだけにして、あとのものは心配だったらあそこにパッキングしてくれるところがあるからお金を払って包んでもらえと言いなさい」と恐い顔で迫ってくるA.I.側。「本当に大事なものだから一緒に乗りたいんですって言って」と言うみんな。なんかもう面倒くさくなって、最初は当然持ち込む方の味方だったけど、途中からもう預けたらええがな、っていう気になってきた。ちょっとキレそうになった私を気遣ってか、それともA.I.の人たちは何を言っても許可しないし、彼女たちの許可がないとチェックインできないことに気付いたからか、結局パッキングしてもらって預けることになりました。

パッキングといってもなんか手際悪〜くラップを巻くだけで、そのあまりののろさと、蚕かミイラのようにぐるぐる巻きにされていくバックパックの滑稽さと、キリンが二つ仲良く箱に納まった姿の間抜けなまでの可愛らしさに、毛羽立っていた気分がちょっと和らいだ。それにしてもむかついた。航空会社は信用第一です。

A.I.にマジギレ事件A

やっとのことチェックインして、免税店とかそこそこ見て、いざ乗り込もうというとき。2つ目の事件は起こりました。手荷物検査です。例のマサイの村で買った牛追い棒が、手荷物をみんな一つずつにまとめた関係でたまたま、本当にたまたま私のリュックに入っていたのだけど、それが引っかかった。また運悪く、手荷物検査をしていた女がさっきチェックインで争った当人だった。

女「さっき凶器は持ってないって言ったわよね」

はい、確かに言いました。だってそれは牛追い棒。うなずく私。

女「なんでこんなもの入ってんの?」

いや、しつこいようだがこれは牛追い棒。

私「それは凶器ではありません」

女「これはあなたの物?」

っていうか、私は一回しか会ったことない人にあげるお土産だけど。

私「私たちの物です」

女「はっきりしなさいよ。誰の物かって聞いてんのよ」

私「私たちの友だちにあげるお土産です。マサイ族の棒です」

それ以上の釈明をする余地は与えられず、牛追い棒は没収され、何の説明もなくただ別の部屋に連れて行かれて待たされた。とりあえず1人じゃなんなのでナツコに付き添ってもらって他の3人は機内へ。どうなるのか全く分からないまま全員が機内に乗り込むまで延々と待たされて、下手すると置いていかれるのじゃないかと苛立って苛立って毛穴から蒸気が吹き出そうになった。どういう棒なのか尋問されるのだと思ったので、マサイの村で買ったときの様子とか用途とか細かく説明してやろうと思っていた。

全員が乗り込んだとき、時刻はもう6:50。やっと先ほどの女に呼び出される。相変わらずどうするつもりなのか全く説明されず、ただ到着地と住所、名前を書けとを差し出される。到着地と言っても、私は成田、ナツコはボンベイ。目的が分からないのでどちらのを答えていいやら分からず、所持してたのは私だし、と思ってとりあえず私のを書く。すると、無言のまま女は牛追い棒を袋に入れて、そこにその紙を貼りだした。ちょっと待って、何、それ返してくれるんじゃなくて送られちゃうわけ?それだったら成田で私が受け取ってもあっちゃんに会う予定ないから無理無理と思って、慌てて到着地はボンベイですと訂正。

女「は?なんで?あんた成田に行くんでしょ?」

私「私はそうだけど、そのお土産は彼女に持っていてほしいんです」

女「だってさっきそれあんたのって言ったじゃない」

いや、私たちのって言いました。っていうか何?私はじゃああのときに私だけ一足早く日本に帰ることやあっちゃんと私たちとの関係について事細かに説明しなくてはならなかったわけ?もう何も言う気も起こらず、日本語で文句たらたら言いながら住所等変更してもらいました。

住所を書かされるときも、女は首からボールペンぶら下げてるくせに、私がリュックのなかを明らかにペンを探して見付からなくて困っているのを見ながら涼しい顔をしていたし、書き終わっても何も言ってくれないからまだなにかあるのだろうと思って待っていても放ったらかしだから待ち兼ねて「もう行っていいですか」って聞いたら最初は無視され繰り返して聞いたらもう当たり前じゃない、さっさと行きなさいよ、っていう顔で追い出されるし、離陸間際だったからナツコと2人通路を走ってたら飛行機付近の別のA.I.スタッフに「遅いよ」とか言われるし、本当にもう踏んだり蹴ったりだった。

牛追い棒と思っていた棒は確かに凶器にもなる棒らしいので、没収されたのは仕方なかったのかもしれない。普通にお土産として売ってる300円程度の品物を、どう見ても他愛もないおもちゃとしてしか利用しない日本人学生旅行者が買ったのにその仕打ちは、と思うけど、百歩譲ってそこは認めてもいい。でも、とにかく状況説明はしてくれよ、と思うわけです。「知らないで持ち込んだのかもしれませんが、これは危険ですので預かります。あとで書類を書いてもらうのでちょっと別室で待っていてください」「到着地の空港で受け取れるようにしますから、ここに到着地と、確認のため住所と名前を書いてください」「これで手続きは終わりですので乗り込んでください」それだけ言ってくれれば何の問題もないわけで。

実際ボンベイの空港でも、分からなかったので普通に荷物と一緒に出てくるのかと思って待っていたら出てこなくて、なんか預かり所みたいなところに受け取りに行ってようやく再会した。それも言ってくれないと分かりません。異国の地で分からないことだらけの旅行者に対するインフォメーションは航空会社の義務でしょう。怒り心頭のA.I.2連発でした。

 


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