ナイロビに到着
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◆市内へ
空港を出るとナツコパパが迎えてくれた。タクシーに乗ってお父さんの家へ向かう。空港から市内までは1時間くらい。野っ原の中に突然空港を造っちゃった感じなので、目を凝らすと遠くの方にキリンが見えたりする雄大な道でした。
お父さんのお家は、ヤヤという、ガイドブックに写真付きで載っていたりする大きなショッピングセンターに隣接する高級アパートの9階。ほとんどホテルみたいなもので、毎日メイドさんがお掃除してタオルまで替えていってくれるようなところ。プール(写真。水中にいるのがヨースケ、座ってるのがテツ)、テニスコート付。
到着して、まずシャワーを浴びて2日分きれいになって、お父さんにナイロビの治安についての一般的注意を受ける。子どもだけで決して出歩けない街の中で唯一、隣というか敷地内にあるヤヤ・ショッピングセンターは安全。まずは両替。ケニアの通貨単位はKsh(ケニア・シリング)で、1シリング約1.5〜6円。成田でドルにしてきたお金を、そんなに使わないだろうということでとりあえず100ドル換えました。
それからお土産の下見、夕食の買い物をする。と言っても私は料理能力はゼロなので買い物は見てるだけ。当然お料理中もウロウロするだけ。ナツコはお母さんのようでした。いろいろお世話してくれた現地の旅行会社の日本人女性も交えお家で夕食。そして、飛行機であんなに寝ていたにも関わらず、すぐに眠りに就きました。
◆ナイロビの治安
ナイロビは治安がものすご〜く悪い。夜は言うまでもなく、昼でも私たちだけで決して歩かないように、と厳重注意を受けた。
とにかく犯罪が多く、バッグなんて持っていようものならひったくってくださいと言っているようなものだから手ぶらは基本だし、のどかに見える公園は強盗多発地帯だし、子どもは盗んだお金でシンナーばかり買って吸ってるし、車に乗っていればちょっと止まった隙に窓割られてもの盗られるし、抵抗すればあっさり殺される。
銃は1500円くらいで普通に売っているらしい。一日50円あれば十分暮らしていけるくらいの物価なので現地感覚では安くはないのかもしれないけど、それにしても1500円って。お父さんはまだ危ない目には遭っていないけれど、旅行会社の女性は既にバッグを2度ひったくられているそうです。お父さん曰く「ここにいると個人の生命が軽く感じられる」。考えさせられるお言葉です。
◆ケニア人の特性
治安が悪いのはやはり仕事がないせい。昼間街をうろうろしている人のほとんどが無職で、道路に自分で勝手に穴掘っておいて「穴が空いてたのをオレが埋めてやったんだから金をよこせ」なんて言ってくる人もいる。
考え方として、人件費というのを重んじないらしい。だから商売も材料費よりちょっとでも高く売れれば儲けもので、製造にかかった手間賃というのは考えないからどんどん値下げする。日本はバイト社会だから労働時間に対してお金もらうのが当然で、それはそれで拘束時間と仕事内容が見合わないときもあって問題ありだと思うけど、ケニア的考え方のせいでこれだけ失業者が溢れているのを思うと、労働時間に対して賃金を支払うところから景気は良くなっていくのかもしれないとも思った。
そしてもちろん物乞いも多い。ケニア人の基本的な性格としてダメモトというのがあるらしい。物乞いも物売りもダメモトだから、あきれるほどしつこいけど断っても傷つかない。断られると自殺寸前まで落ち込む私としては見習いたいくらいです。
◆ナイロビ雑感
アフリカというと、小さい頃はとにかく貧しい国というイメージがあった。まだ純粋でキリスト教教育に疑問を持たずにいた幼かりし頃の私の毎日のお祈りと言えば大体、天災が起こりませんように、アフリカの貧しい子どもたちが幸せになせますように、っていうくらい、貧しい国だと思っていた。思い浮かぶ映像は蝿がたかっても見向きもしない、お腹だけが出っ張った悲しげな目をした子ども。
でもそういうのは偏見なのだろうとだんだん気付き始めて、最近はナイロビなんて完全に都会化しててアメリカとかヨーロッパと変わらないくらいだ、なんて話も聞いていた。それで総合的には、アフリカは広いから、きっとまだまだ貧しい地域もいっぱいあるけど、ナイロビだけはどーんと一つの都市として他とは隔てられた空間なのだろう、という想像を以て出かけていた。
でも実際にタクシーの窓から眺めたナイロビは、不思議に貧富の混在する街だった。確かに立派な高層ビルもあるけど、ビルの立ち並ぶ地帯があってそれを民家地帯が取り囲むというのではなくて、ポコポコとビルもあり、すぐ横にはワラぶきみたいな家やらマーケットやらがあり、スーツ着た人もカゴを頭の上に乗せて裸足で歩く人も同じ道を歩いている、というのが私の第一印象でした。
◆明けて翌日
ナイロビ市内観光。といっても「何にもないよ(お父さん談)」。お父さんはもう数年住んでいるけれど、娯楽というのがほとんど存在しないので退屈で仕方ないのだそうだ。生きるだけで精一杯という生活に特に不満を感じない民族みたいで、テレビも普及してないし映画・演劇もほとんどない。
まあそうは言っても初めての私たちにはそれなりに見るものがあります。国立博物館とヘビ園を見学し、お土産を地区最大規模のショッピングセンターであるサリット・センターと生活感溢れるマーケットの両方であさる。
お父さんの仕事場にもお邪魔しました。森首相も訪れたという高名な研究所。「森総理専用」と書かれたトイレが複数ありました。どれを使っても自分専用だと思わせるたけめの配慮なのでしょう。研究所はさすがに立派なのだけど、柵があってそのすぐ向こう側はいわゆる民家。ゴミ捨て場と共存しているような感じで小さな家が乱立している。子どもたちが日本人五人組を興味深そうに見つめていて、お互いに檻の中の動物状態でした。
カメラ持って歩くのは恐いから念のため初日は控えようと思ったため、この日の写真は残念ながらありません。左はお父さんのアパートからの眺め。外に持っていけないのでせめて、と思って撮りました。
◆ヘビ園
爬虫類両生類は鳥肌通り越して鮫肌になる勢いで嫌いな私としてはヘビ園にはあまり入りたくなかったのだけど、やっぱりせっかく来たんだしということで。入場料払うときに大人料金と子供料金があって、子供って何歳までですか、って聞いたら私たちをじっくりと見定めて迷った末に15歳と答えた。15より下だったらどうしようってドキドキしてたんだろうな。何にしてもいい加減なものです。
あらゆる種類の毒ヘビがいました。ナツコが柵の中にフイルムを落としてしまって、係の人に言ったら「待ってろ、人を呼んでくる」とのこと。待っていると飼育係らしい作業服を着た弱々しい感じのお兄ちゃんが出てきて、駅のホームでものを落としたときのように何か器具を使って取ってくれるのかと思いきや、ずかずかと柵を乗り越えてトカゲやヘビのいる庭に入っていって、あっさりフイルムを拾ってその場で柵越しに渡してくれました。うーん、ワイルド。
最初は気持ち悪くて蒼ざめてたけどだんだん慣れてきてきれいと思う余裕さえ出てきた。でも一番きれいだなと思ったヘビの解説見たら「アフリカで最も危険」って書いてあった。恐るべし。カメやワニもいます。もんのすごいでっかいカメがいました。どれくらいと表現したら良いのか、とにかくでっかくてデーンと座ってカボチャらしきものを気付かないくらいのスピードで食べてました。
出口にてこれまだ特大のカタツムリを発見。どうやらスワヒリ語で「オメーラ」と言うらしく、近くにいた警備員が「オメーラオメーラ」と言いながら笑っていたので日本語での意味を知ってる上でからかっていたのでしょう。
◆国立博物館
ヘビ園のすぐ隣だから料金制も同じなはず。ためしに15歳なんだけど、と言ったら、じゃあ大人料金ね、って言われた。やっぱりね…。
国立博物館は、動植物の模型やいろいろな民族の絵と生活用品の展示。民族がおしゃれなのに驚いた。器とか戦う道具とかももちろんあるんだけど、アクセサリーとか香水とかがすごい豊富。意外な感じがしました。
動植物の方は、剥製かと思いきやただのガラス繊維の模型で、地上最大だったと言われる巨象マーメッドの模型なんかはさすがに迫力だったし魚の骨とかも面白かったけど、のちにサファリで本物にお目にかかるわけで、その辺りはちょっと苦しい感じが否めませんでした。写真は博物館とかヘビ園とかを含むエリア一帯の入り口にある恐竜。最終日に撮ったものです。
見学を終えて、ナツコが以前1人で来たときに友だちになったパトリックとジェームズに会いに付属のアートスタジオを訪れる。工房は、博物館のお土産品の絵ハガキになる版画を刷ったり、なんかそこら辺にある木を掘ったりする人でかなり活気に溢れています。この日から展覧会が始まるそうで、その準備でみんなとても忙しそうでした。パトリックがオープニング・セレモニーに来てもいいと言ってくれたけど、次の日から旅行だし、ということで残念ながら断念。日本人好きのジェームズはナツコの連れてきたたくさんの日本人にかなりご機嫌な様子。この日はとりあえず、帰国前にもう一度寄ることを約束してお別れしました。
◆マーケット
狭い路地の両側に無数に立ち並ぶお土産屋。一店舗6畳くらい?の狭さで、売ってるものはどこもほぼ同じ。ケニアのお土産と言えば大体木彫りの黒い動物とマサイ族の人形か、革のサンダルかサイザル麻のバッグか布か、くらいで、それは大きなショッピング・センターでも変わらないのに、こういうところでは交渉次第でものすごい値引きができる。
だけど道はでこぼこで歩くの大変だし蝿が飛び交っててよけるの大変だし、何より客引きの勢いがものすごいので何もできませんでした。「中入って見てけ」「見るだけならタダ」と日本語を交えて強引に誘ってくる。ケニア人は言語能力が高いのか、英語はみんなペラペラでスワヒリ語と自由に使い分けるし、日本語もたくさん知っています。
ちょっとでも興味を示したらくらいついてきて、素っ気なくすると手を引っ張られたりする。日本で買い物してても店員をうっとうしく感じる私にはちょっと耐えられないしつこさでした。それも今となっては懐かしくなってたりするんだけど…。
◆夜
お父さんにケニア料理のニャマ・チョマとウガリをごちそうになりました。「ニャマ・チョマ・プレイス」というそのまんまの名前のレストラン。かなり高級らしく、ビジネスマンらしき人や外国人がたくさんいました。高級レストランといっても屋外です。テーブル毎にちょっとした屋根がついてて、各テーブルには動物の名前が付いている。ケニアは一年中夏の軽井沢という気候なのでこういうことができるのでしょう。
ニャマ・チョマは、ケニア風焼肉。自分たちで肉を実際に見て選んで、それを炭火で焼いてもらって、細かく切り分けて手で塩をつけて食べる。私たちは背中と腰を注文しました。注文を受けてから焼くので出てくるまでたっぷり1時間はかかる。「ポレポレ(ゆっくり)」な国なのです。お腹が空ききった頃にくるのでとても美味しく感じた。たしかに硬いけど、わりといけます。
ウガリは東アフリカの代表的な主食で、ケニア人はいつもウガリばかり食べているらしい。トウモロコシとか小麦を湯で根気良く練って蒸してあるもので、それを適量自分の手でとってさらにこねて食べる。無味だけどけっこう癖になる感じで、一回ごちそうさましてもまた食べたくなるので私は何度も手を洗ってはベチャベチャにするという行為を繰り返してしまいました。
そして食べ終わると、お父さんと一緒でも夜は危険なので早々とアパートに帰る。みんなは家で飲んでいたけど、疲れやすい私は一足先にベッドに入りました。