帰りのボンベイ

空港

機内では、テツはまだ体調が万全ではなかったし、ナツコとヨウスケも疲れ気味で、3人は睡眠時間。インドの旅は全くの行き当たりばったり旅行で、ホテルも予約していなかったので、珍しく眠くなかった私はアイちゃんとなんとなくだけど計画を立てました。私は1日しかいられないからちょっとくらい観光したいけど、テツの体調を考えると1日目は休んでおきたいところ。なので空港を出たらまずは観光名所のある場所へ向かって、そこでホテルを取ればいいんじゃ、ということで、最初の目的地はインド門、タージ・マハル・ホテル(超高級ホテル)のあるエリアに決定。

朝の3時20分にボンベイはサハール国際空港に到着。牛追い棒待ちで荷物の受取りに多少てこずったり、いよいよ本格的にお腹を壊しそうな嫌〜な予感におののきはしたものの、往きは待合室のソファで寝ているだけだったこの懐かしい空港を飛び出してインドの街に出られると思うとやっぱりワクワク感が勝る。

インド人の英語の聞き取りづらさは覚悟してきたつもりだったけど、入国審査で早くも壁にぶつかった。何かを見せろと言われているのだけどその何かが分からない。注射を打つ身振りをしてくれたのでやっとイエローカードのことだと判明した。せっかく痛い思いして日本で注射受けて行ったのにケニアでは見せる機会がなくて、何だよーと思っていたので、ここで活躍の場ができてちょっとうれしい。考えてみればケニアに病原菌があるわけだから、ケニア人は予防接種受けてない人がきても別に困らないけど、インド人にしてみたら持ち込まれたくないからそりゃあイエローカード見たいよね。怒られながらもらったインドビザもここでお披露目。旅行準備が報われた入国審査でした。

市内へ

シリングをルピーに換えて、タクシーに乗っていよいよ市内へ。ガイドブックに空港から市内へ行くにはプリペイドタクシーがいいとあったので、タクシーの案内窓口へ向かう。その時点でまだ朝の5時とかだったので、いま街に出てもどこも開いていないのではないかと不安になって、窓口の人にこの時間でも開いてるレストランはあるかどうか聞いてみた。「いっぱいあるさ」とおじさんが言ったので、早速申し込む。窓口でお金を払うと車のナンバーの書かれた紙をくれて、そのナンバーのタクシーを探して乗るという仕組み。5人で荷物もあるということで2台と判断され、けっこうなお金がかかる。探していると男が近付いてきて一緒に探してくれたので業者の人かと思いきや、見付けて乗り込もうとすると案内料をよこせと言ってきた。インド人は本当に何でも商売にしようとするらしい。払うものなのかどうか分からず迷ったけど、とりあえず無視しました。

テツ・ヨウスケとは別の車で出発。インドの車はすごいです。コンパクトシンプル。前の座席は運転席と助手席の間に境目がないし、なんかルームミラーよく動かすなあと思ったらバックミラーがないから全部ルームミラーだけで確認してるし。もちろんメーターは壊れてるし、運転手は裸足でした。1時間くらいで目的地に近付く。「タージ・マハル・ホテルまで」とお願いしていたら、ホテル内に入ろうとしたので焦りました。バックパックの学生が泊まれる値段ではありません。慌てて裏につけてもらって、ヨウスケたちと合流しました。この時点で朝の6時。文脈とは無関係の写真ですが、インドへようこそっぽいのであえてここで使用してみました。

朝のボンベイ

プリペイドタクシーの窓口のおじさんの言ったことはまるででたらめだったということはすぐに分かりました。どう見ても街は眠っています。開いてる店を探そうと彷徨う私たち。歩いてる人に聞いてみるとみんな親切に教えてはくれるのだけど、案内されたレストランに行ってみてもやっぱり開いてない。インド人は、ものを聞かれて分からないと答えるのは失礼だと感じるらしい。だから知らなくてもとりあえず適当に答えてしまうのだと分かったときにはもう遅い。

でも、まだ目覚めないボンベイの街を歩くことができたのは私的にはとても面白い体験でした。明け方近くなので完全に眠っているわけではないけれど、昼間とは明らかに違います。驚いたのは、道端に人がたっくさん寝ていること。夜が明けると出店でいっぱいになる通りが足の踏み場もない程の人で埋まっている。毛布にくるまって、よく見ると目が開いてて私たちを見てる人もいた。店の人が起きてきて入り口前で寝てる人を蹴っ飛ばしてどかそうとしても知らん振り。起きている人が意外と多いことも含めて、なんていうか、すごくエネルギッシュな街です。

開店準備をしているレストランがあったので、そこの前に座り込んで待つことにした。でも入念に掃除をしていて全く開く気配がないので、ためしに1人つかまえて聞いてみると「ボンベイではお店はどこも8時からです」だって。まだまだ時間があります。バックパックの重さと疲れでみんな不機嫌になりかけていたので、荷物置くだけで一泊分取られるのしゃくだなあと思いながらも仕方なくホテルを探すことにしました。

YMCAに泊まれれば一番良かったのだけど、インド人しか泊まれなかったり満室だったりで断られ、もうみんなクタクタ。たまたま目に止まった、中級のちょっと予算オーバーなホテル―といっても物価が格安なので一泊700円とかだけど―に入ってみたら、いきなり主人らしき人がソファーで寝てた。客が入ってきても慌てるでもなく応対。いまチェックインしたら何時までいられるか聞いてみたところ、いまからだったら今日の分は半額だし、明日の分まで取れば部屋はそのまま使えるということだったので、早速ツインを二部屋取りました。

エレベーターボーイがついてるくらいわりといいホテルなのだけど、やはりきれいとは言い難い。インドじゃ珍しく24時間お湯は出るけど、シャワーとトイレの間にはカーテンはおろか段差さえない。ハエ、ゴキブリは普通にいるし、天井はぼこぼこ、空調も操作通りには動かない。ラブホテルみたいとの声多数。写真は室内の様子です。

インド門

ホテル探しの途中でお腹が痛くなったのでタージ・マハル・ホテルに向かいました。そう、もちろんお手洗いを拝借しに。私の自律神経は大したもので、たとえ下痢という緊急事態であってもインド式のトイレを目の前にすると腹痛さえ抑え込んでしまうのです。門番にちょっとした引け目を感じながらもホテルに入り、ちゃっかり観光も。さすがインド人の豪華さでした。

インド門はホテルのすぐ横にあるので、帰りにちょっと見物しました。まだ観光客はだれもいなくて、代わりに地元民が生活?してた。そこで私はすごいものを目撃してしまいました。“巻きグソ”です。お母さんの横で3歳くらいの子どもが通りのほうにお尻を向けて踏ん張っていて、その下には見事に巻かれたブツが既に2つ。びっくりしました。思わずまじまじと見てしまいました。

写真は昼間改めて行ったときに撮ったものです。残念ながら巻きグソを収めることはできなかったのです。

門自体は凱旋門っぽい。 インド門前から望むボンベイ湾。 凱旋門とは全く異なる賑わい。
お世話になったタージマハルホテル。 感謝を込めて2連発。

昼のボンベイ

荷物だけ置いてすぐ外出する予定だったのだけど、テツとヨウスケはそのまま寝てしまいました。女3人で朝ご飯を食べにさっきのレストランに戻る。どうも入念に掃除してたと思ったら、白人の集まる高級レストランだったみたい。でも朝のメニューはあまり豊富とは言えず、普通のオムレツとかしか食べられなかった。確かに朝からカレーっていうのもどうかと思うけど、インドだったらそれくらいしてほしいとも思った。

食べてると腹痛が襲ってきたので再びタージ・マハル・ホテルに向かう。結局この10何時間かの滞在中私は下しっ放しで、インドでお腹壊すのは覚悟してたけどインド来るにお腹壊すとは思ってなくて、カレー三昧になることができずにけっこうショックでした。どうせならカレーでお腹を壊したい。

レストランを出てショッピング・センターをちょっとだけ見る。とにかくくだらない雑貨が豊富。サリーを作ってくれるお店もたくさんありました。ケニアと違って自由に歩き回れるのは魅力です。もう一つ違うのは、声をかけてくる人の態度。ボンベイでもとにかく物売りやら物乞いやら自ら案内役を買って出る人やら、声をかけてくる人はやたらと多いのだけど、ケニア人と違って一度断るとあっさりと身を引いてしまうのですね。なんとなく、あれだけうっとうしかったケニア人のしつこさがちょっと恋しくなってしまいました。

街は、香辛料お香ウンコの匂いが交互にする感じでした。噂に聞いていたように人糞だらけというほど汚いところではなかったけど、相当雑然としていたことは確か。ケニアと比べれば全然文明化されてるのだけど、メッスィな雰囲気を好むのだろうなと思いました。インド人が日本に来たら整然とし過ぎていて息苦しいかも。

野良犬が非常に多いです。かまれると狂犬病で死ぬらしい。内臓が出てるまま寝そべってるのもいて、不思議と死んではいなかったりする。道路に突如として巨大な牛が現れたりもします。道端でおばさんがサリーを洗っていたり、ベランダに干してあるサリーは長すぎて下の階のベランダまですっかり覆っていたり、ボンベイはそんな街です。

男の子たちを起こそうとホテルに戻るも、結局私たちも疲れていて一緒になって寝てしまった。私なんてカウントされてないのに図々しくダブルベッドを3等分してもらってぐうぐう。午後になってやっとみんなで起き出して、揃って再び街に出ました。

ボンベイの街並@ ボンベイの街並A

別れ

A.I.でケニアからボンベイ経由で日本に帰る場合、往きもそうだったようにトランジットに15時間かかります。だからその15時間で市内をちょっとだけ観光してすぐ帰ることもできるし、または次の日本行きの便を待ってボンベイに何泊かするという手もある。私は、一応就職活動のこともあるからあまり日本を長いこと空けるのは不安だったこと、インドのトイレで何日間も過ごすのは無理と判断したこと、海外旅行はホームシック的に2週間が限度かなと思ったことからすぐ帰ることにしたのだけど、みんなはもう4日間滞在することになっていたので、今日でお別れ

5人で過ごす最後の時間。本当はマハラジャ・マック(宗教上の理由により豚肉使用のマクドナルド)にも行きたかったし他に見たいところもあったのだけど、私のお腹の具合により遠出はできず、結局インド門周辺をまたうろついただけでした。インド門は朝とは打って変わってものすごい人出。インドの底力を感じさせられました。アイスとか巨大風船とか訳の分からないものを売ってる人多数。美味しそうなものもあったけど、食べたら確実に下痢。

お昼ご飯を食べようとレストランに入ると生水が出てきました。飲んだら下痢間違いなしの噂のインド水です。分かってはいるのだけど、目の前にあると無意識に手が出そうになってかなり危なかった。とくに私は飛行機のなかでお腹痛くなるのを恐れて食べ物も注文しなかったから、手持ち無沙汰でついつい手が伸びる。水飲んじゃったら食べ物我慢したのなんて台無しです。そこで旅に必要な簡単な英語講座を行い、ホテルの取り方や道の尋ね方などを伝授。結局みんなのちょっとずつもらったりして食べてしまいました。

食べ終わると3度目のタージ・マハル・ホテルに向かって、いい加減門番に目を付けられるんじゃないかと思って今度は横の入り口から入ってみたりして、まあ向かうところは一緒なんだけど。ホテルの前でタクシーを拾うことに。値段交渉までは付き合ってもらって、ここで2週間共に過ごした4人とはお別れとなりました。1人でタクシーに乗り込み、ちょっと緊張。

タクシーの運転手に「アメリカ人かい?」と聞かれた。なぜ?どう見ても東洋人なのに。変な運転手、とか思って心を閉ざしました。別に今思えば深い意味はなかったのだろうけど、何しろ緊張していたので。来たときはまだ暗かったから道の様子も全然違って、違うところに連れて行かれるのではないかと本当にずっと不安だった。やっとサハール国際空港の表示が見えてきたとき一気に緊張が解けた。ターミナルが分からないことにハッと気付いてやばい、と思ったけど、そんな素振りを見せてはいけないような気がして、余裕の顔して「エア・インディアのターミナルに行ってちょうだい」くらいの感じで言ってみたらちゃんとそこまで行ってくれました。良かった良かった。写真はタクシーから眺めたボンベイ市内です。

A.I.にマジギレ事件B

で、またA.I.です。カウンターを見付けてチェックイン。荷物は手荷物だけかと聞かれ、スーツケースはケニアの空港で既に成田までということで預けていたので、最初はそうですって普通に答えてしまったのだけど、A.I.のことだからちゃんと言っておかないと成田まで行ってないかもと不安になって、ケニアでもう預けたんですけど、って言いました。

別の人を呼んでくるからちょっと待ってろと言われ、チェックインはお預け。待っていると恐そうなおじさんが来て、荷物はどうした、と怒るような口調で聞かれます。ケニアの空港で成田までって言って預けました、と同じことを答えると、いまどこにあるんだ、とか訳わかんないことを言ってくる。そんなのこっちが知りたいよ、お前たちに預けたんだよ、と思ってフツフツ。なんでこんなことくらいちゃんとシステム化していないわけ?カウンターのほうのおじさんは分かってくれてて恐いおじさんに説明してくれるのだけど、相変わらずおじさんは怒っている。そして2人でなにやらヒンディー語で話し始め、またまたインフォメーション不足っぷりを発揮。

結局よく分からないまま2人のなかで解決したらしく、チェックイン手続きはしてもらうことができた。搭乗券に荷物シールを貼ってくれて、階段を下りたところにいる人がこのシールの貼ってある人を案内してくれるから、その人に従って荷物があるかどうか確認しに行ってください、と言われました。とりあえずホッとしたのも束の間、実際階段を下りたところにいる人に搭乗券を見せても何も言われない。あの、荷物の確認をしたいんですけどっておそるおそる訪ねると、あろうことか階段上ってカウンターに行って聞け、と言うわけです。いやいや、カウンターの人が下でって言ったんだよ、と反論すると、じゃあ乗るとき搭乗口の人に聞いて、と言われる。

乗るときで間に合うのかい、と思ったけど仕方ないので搭乗口に向かう。そこで搭乗券を見せてもまた何も言われないので、再び荷物の確認をしたいんですけど、とおそるおそる質問。すると、向こうの人に聞いてくれ、だって。まったくたらい回しもいいとこだよ、と思ってマジギレで、もうその人に聞くときにはおそるおそるはやめてかなり怒り口調で「荷物の確認はどこでやるの!」と聞いてみた。そして再びさっきの階段の下の人に回される。

階段下に舞い戻り、やっぱりここって言われましたと言うと、やっとちょっと分かってそうな人が出てきて案内してくれました。そこには荷物の確認を待つ日本人が10人くらい集まっている。そりゃあ私だけじゃないはずと思ったよ。なんで私ばっかりここに辿り着くのに苦労しないといけないわけ?と思ったけど、英語が分からないゆえにのほほんと荷物確認を待っている日本人ツアー客たちを見ていると怒る気力さえ失せていきます。もう無言でそこの係の人に搭乗券を叩きつけて、無表情で荷物の確認を終えました。

インド人へ。仕事は連携しておこなってください。そして分からないのに適当に答えるのはやめてください。さらに、搭乗直前の待合室に呼び出しがかかり、アホアホ日本人旅行者2人が荷物の確認に連れ出されて行くのを見て愕然としました。もっとも当の2人は何で自分たちが連れ出されるの全く分かっていない様子でしたが。おそらくチェックインカウンターで荷物のことを何も言わなかったのでしょう。なんだ、何も自分から苦労しなくても、最終的には向こうから言ってくるんじゃん。ほんと損した。でもまあおかげで大抵のトラブルは英語で乗り越えられるんだなって、できないほうが結果的にはだったわけだけど、ちょっと自信はつきました。

5人でいたときは、マジギレしたときでもナツコも一緒になってキレていて2人で文句言い合ったり、ヨウスケがマジギレした私の絵を描いたりしてるのが逆に気休めになったり、他の話してるうちに紛れたりしてた。でも1人でマジギレするとが出てくるんだってことに気付いた。悔しいから一生懸命我慢したけど、もう少しで泣きそうでした。

でもまあとりあえず、荷物はちゃんとあったし、私も飛行機に乗れたし、あとは日本に帰るだけです。

帰国

飛行機のなかでは、相変わらずお腹の調子が万全でなかったので、美味しい機内食も一口も食べることができませんでした。食の誘惑を断ち切ろうとひたすら寝ていようと思ったのに、日本の航空会社だと寝てる人は食事の時間にも起こさないで起きたときに食べられるようにしておいてくれるのだけど、A.I.はスッチーがどんどんどんって肩叩いて容赦なく起こしてきます。その度にいりませんって言わなくちゃいけなくてほんと辛かった。でも幸い席に余裕があって足が伸ばせたので、それ以外の時間はほぼまるまる寝て過ごしました。

起きたら日本!!すばらしく爽快な目覚めでした。成田空港はインフォメーションの嵐。もう何をするにも分かりやすくて文句なしです。ケニアから帰ってきた人は一応体調に変化がないかどうか申告するために検閲カウンターみたいなところに立ち寄らなければいけないのだけど、それももう順路が矢印で示されているうえに係の人が案内までしていて、すべてスムーズにことが運ぶ。

荷物もちゃんと届いていました。テツがキリンをインドで持ち歩くのは大変だろうということで、先に成田まで送って私が受け取ってテツの家に宅急便で送っておくということになっていたので、スーツケースと一緒にキリンも受取ったのだけど、それが税関で引っかかった。これがA.I.だったらまたえらく大変なことになりそうなところで、大丈夫かしらとちょっと不安になったのだけど、そこはさすが日本でした。念のためX線かけるのでちょっとここで待っててください、とすかさず説明が入る。そしてすぐにX線係の人がきてキリン持って行って、そしてすぐに戻ってきて、すぐにパスポートも返してくれて、結構ですよ、だって。これですよ。ああもう日本大好き。

どうやって帰ろうかなあと思ったら、市内までの行き方も時刻表もすぐに分かるところに電光掲示板で表示されていました。日本にいると当たり前だけど、本当に画期的なこと。サービス満点、工夫の鬼である日本人を私は愛しています。どうやら成田エクスプレスが一番早そうだということで切符を買うと、乗り場をちゃんと説明してくれる。その通り進んでいくと乗り場があって、時刻ぴったりに発車しました。

車内もきれい、走りも静か。そのうえ車内販売まであります。お姉さんがカートを運んで来たとき、思わず日本茶を頼んでしまいました。緑茶をすすりながら、ピカピカに磨かれた窓から日本の風景を眺める。千葉の田園からやがて無計画に高層ビルの立ち並ぶ東京へ。嗚呼、愛しの日本、としみじみ感じずにはいられないひとときでした。